「長崎被爆体験」を聞く

「海老名市原爆展」にて

 海老名市役所のエントランスホールで「海老名市原爆展」が市と「海老名市原爆被災者の会」共催で8月3日(水)から16日(火)設置されています。原爆投下直後の広島、長崎の悲惨な状況や世界に広がる核の被害などの貴重な写真をパネルで展示、平和を祈る折り鶴コーナーなどがあります。

 パネル展示で囲まれた中に、「語り部講演」の会場が設置されていました。8月9日は66年前、長崎に原爆が落とされた日です。そのとき4,7歳だった豊さんと3.6歳だった太田さんが被爆体験をお話しされました。豊さんは5人姉妹の4女で戦争中だけど両親との幸せな家庭が、一発の原子爆弾で一変したことを語られました。工場で勤務中に被爆した父親は被爆後2週間後に紫の斑点が全身に出て原爆症で41歳でなくなり、生後3ヶ月の妹は約1年後に亡くなられました。原爆症の症状が出て息を引き取る幼子を腕に抱き母親は、「お前は親孝行な子だね、お父ちゃんと空から見守ってくれるんだね。」と言われたそうです。父親のいない家庭で子どもたちを女手ひとつで食べさせる苦労が想像できます。ひとり食べる口が減ることは悲しいけれど、ほっとした面もあったのでは?そう言わせたのは「戦争」、涙が頬を伝わってきました。その後努力して美容師で自立し、現在は孫に恵まれ、落ち着いた生活を送られています。ご自身を含め、体調のこと、放射線の影響のことを気になさって居ました。

 太田さんは原爆の威力、核兵器の現状をスライドで視覚的に説明されました。3.11の福島原発事故の起きた今年は被爆と被曝、原子爆弾と原子力発電の相違を話されました。「戦争を起こすのも、起こさないのも人間、戦争の悲惨さ、核の恐ろしさを伝え、平和な世界にしていこう!」とうったえられました。

 体験に基づく話しには、説得力があります。日本は広島・長崎・第5福竜丸、そして福島と4度も核の被害を受けました。原発事故は日本だけでなく、全世界に影響を及ぼします、核の平和利用はありえません。戦争・原発への道を閉ざすために、情報をしっかりと受け止め、きちんと意思表示をすることが必要です。子どもたちへ負の遺産は引き継ぎさせたくありません。未来の社会への大人の責任です。