沖縄は今も日本の砦

2018年4月23日 09時22分 | カテゴリー: 活動報告

海老名ネット平和部会では、4月12日~14日沖縄の戦跡を尋ねた。

市民と共に市民発平和の会を結成し、「戦争体験を聞いて平和について考える」をテーマに毎年「平和の集い」市文化会館で開催している。2016年、17年と沖縄戦の体験者に語っていただいた。また、昨年夏には長野県松代大本営跡を見学したことから、沖縄戦が国体を守るため松代大本営地下壕(天皇・軍部の避難場所)を完成させるための時間稼ぎの戦いであったことを知った。

1941年真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は、1944年サイパン陥落と戦線が日本本土へ迫る中、沖縄が砦となり本土決戦を食い止める捨て石となった。米軍の軍備を消耗させるため、現地軍は徹底抗戦するようにとの方針で、子どもたち迄動員され、ひめゆり学徒部隊、男子「鉄血勤皇隊」等の悲劇が起き、動員された子どもたち2038人の約半数987人が戦死した。また、口減らしの為に学童集団疎開船が本土へ。米潜水艦に撃沈された疎開船対馬丸は乗船者の8割約1500名が亡くなっている。そして、地下陣地(壕)で戦闘するという持久作戦を立てた日本軍は敗退する先々で、先に疎開していた住民を奥の湿地帯に追いやり、集団自決を強いるなど国・軍隊は決して国民を守らなかったこと、集団自決には「天皇の為に死す」の忠君愛国の戦前の教育の影響であったことが分かった。90日間に及ぶ沖縄での激しい地上戦は、沖縄島民の4人に1人が犠牲となった。

終戦後、沖縄は日本から切り離され米国に統治された(カリフォルニア州属)。1972年基地と核がついたまま沖縄が返還された。嘉手納基地以南は返還すると日米政府間のとりきめだが、世界一危険な基地普天間の移転先は県内の辺野古だ。キャンプシュワブ(基地)正門前では抗議のデモがあり、辺野古漁港に隣接する埋め立て地の境界線の金網には基地建設反対の旗がぎっしりと貼られていた。ここに飛行場が整備されれば、また沖縄が戦場のプラットホームになる。

沖縄には日本の7割の基地があり、沖縄本島の1割を基地が占める。生活の中に基地がある。米軍が存在することで被る被害は大きい。戦後70年以上たち、戦争体験を親から直接聞く世代も少なくなった。だからこそ、現地を見て史実に触れること、戦争体験を語り継ぐことが大切だと感じた。沖縄は今も日本の砦あり、日本は米国の砦ともいえる。