「戦争体験を聴こう」

2012年11月18日 23時35分 | カテゴリー: 活動報告

「戦争体験を聴こう」                        

11月17日(土)市民発平和の会で「戦争体験を聴こう」を開催しました。雨天にもかかわらず、文化会館120サロン(80名収容)は参加者でいっぱいでした。

海老名市は昭和1985年に「平和都市宣言」をし、その理念に基づき、市民参画のもとに平和事業を推進することを目的に、2007年「海老名市平和事業推進に関する条例」を海老名ネットの議員提案により制定しました。条例を実のあるものにするために、2008年から「平和の集い」を海老名ネット平和部会で開催してきました。4回目からは市と教育委員会の後援を受けています。そして、5回目からは市内で活動している団体や個人に呼びかけ、実行委員会をつくって、活動の輪を拡げてきました。それが、「市民発平和の会」です。今回は6回目の開催となり、2人の方から、戦争体験をお聴きしました。

横浜大空襲は1945年5月29日、飯田寿枝さんは女学校1年。焼夷弾で、現在の東神奈川から横浜駅までの一体は焼け野原になり電柱が倒れ、黒焦げの遺体が転がっていたそうです。「避難は学校へ」を叩き込まれていたので、学校で家族と再会できたが、家は焼け、焼け跡から神棚にあった布袋様が出てきて、その後の家族の守り神となったそうです。その布袋様や「灯火管制」「千人針」「赤紙(軍隊への入隊徴集通知)」をお持ちいただき、戦時中の暮らしが良くわかりました。育ちざかりに食べ物がなくひもじい体験から、飽食の時代の今の子供たちに、食べ物を大切にし、しっかりと食べて体をつくるようにと力説されました。

 辻里子さんは東京大空襲を女学校3年生の時体験された。1945年3月10日の未明、焼夷弾で下町一帯が火に覆われ、父親が「風上に逃げろ」と家族6人を風下に逃げる人ごみの流れに逆らい引き連れ、どぶ沼に胸までつかり一夜を過ごした。5歳と4歳の妹は父親と母親の背中に負ぶわれていたが、寒さと飢えで翌日亡くなり、廃材を集めて父親が荼毘に付し、空き缶を骨壺にして腰につけて持ち歩いたそうです。辻さんは感情を抑えて淡々と語ったので、聞く人の胸に響き、女子高校生をはじめ会場の人々はハンカチで目を覆っていました。「状況が悪化しても戦争を推し進めた日本のリーダーの責任は重い、早めに終結していれば、大空襲もなく、広島・長崎に原爆を落とされることもなかった。」そして、「地球は全ての生物のためにあり、共存していくことが必要、その環境を破壊する戦争は許されないこと。」と話されました。

 会場からはお二人のお話に共鳴する声があがりました。辛い体験をお聴きするのは、二度と戦争を起こしてはならない、子ども達に平和な未来を渡したいからです。この思いは充分に共有できたようです。しかし、戦争体験を語れる方は年々少なくなってきました。海老名市には、70歳以上の方は16,300人で、128,000の人口の12.7%にすぎません。貴重な語り部の状況をDVDに収録すること、さらに平和活動をしている団体や個人との連携深め、海老名市の平和実行委員会を形成していくことがこれからの課題です。そのためにも市との協働事業をめざしていきたいものです。